2014年12月29日月曜日

2014年心に残ったことは。。。




2014年、心に残った出来事ベスト5


1 日本で初めて指揮者として客演したこと




4月から5月にかけ、東京でTokyo Ensemnable Factoryとオーケストラ・ニッポニカの2団体の演奏会に客演し、幸せな音楽時間を共有させて頂きました。
日本語がかなりアヤシくなっている私としては、リハーサルの度に「ちゃんと理解可能なしゃべり方をしてるんやろか?」と、内心ドキドキやったのでした(笑)。。。
年末の朝日新聞文化欄に、ニッポニカの演奏会について触れられていたようで、、、光栄な事ですね。お世話になった演奏家の皆様方に感謝!感謝!です。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11508641.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11508641




2 インドネシアで新しいユースオーケストラを立ち上げた事



5月中旬から下旬にかけては、インドネシアに2回目の訪問をし、スラバヤ市とジョクジャカルタ市で学生オーケストラの演奏会を指揮しました。
で、まあ、、、すったもんだあーだこーだ(書くと長くなるので省略(笑))の末、インドネシア初のユースオーケストラを立ち上げることになった、と。
立ち上げ途中のオーケストラの話が、すでに日経新聞の記事に載ってしまった!(笑)


何だかインドネシアが第三の故郷になった気分です(笑)。
私を「お母さん」と呼ぶ若者達との、アドヴェンチャーの始まり始まり!(笑)

Indonesian Youth Symphony Orchestra
https://www.facebook.com/pages/Indonesian-Youth-Symphony-Orchestra/698476646912330?ref=hl



3 師匠との初仕事

6月から7月にかけて、私の永遠の師匠ファビオ・ルイージさんの副指揮者として、イタリアでのオペラ公演に参加しました。ルイージさんが来るまでの2週間半は、心から楽しく仕事できたし、ルイージさん合流後は毎日が「目から鱗」。多くを学んだ幸せな日々でした。
この仕事をきっかけに、ルイージさん&ファミリーと親しくなったのは嬉しいし、ルイージさんの愛弟子のカザフスタン人指揮者ともの凄く意気投合しちゃって、毎晩オールナイトでビール飲みながら議論し続けた事はお互い一生忘れないと思うわぁ〜(笑)。






4 パリで新しくアンサンブルを立ち上げたこと

2005年に立ち上げて9年間音楽監督を務めていたアンサンブル・ミュルチラテラルを脱退し、9月に新しい現代音楽のアンサンブルを作ってしまいました。



気の合う仲間達と、「現代音楽を若い世代に気軽に聴いてもらう」という教育目的で発足したアンサンブル。大事に育ててゆければ、と思います。

Musica Universalis
http://www.musica-universalis.info



5 れじとん(旦那)のオペラ初演





考えてみれば、今年一番大変だったのは、9月に世界初演された旦那のオペラにまつわる云々、なのだな(笑)。
作曲してる時点から、かなり私も色々と関わったし。。。

れじとんが数年前に発表した小さなオペラが批評家達からすごく好評だったのと、この企画が日独オペラハウス提携の大規模なものだったのとで、今回のオペラ初演はあちこちから結構注目されていました。

で、結果は、、、、

大成功!

れじとんは11月にフランス学士院より受賞。つい先日「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック」という、フランスの国営テレビ局France 2が毎年開催する、フランス版「レコード大賞」みたいな番組の「作曲家部門」にノミネートされた、と。
来年の2月にFrance 2の生放送番組で、批評家&演奏家達の投票の集計による結果が発表されます。私もれじとんと一緒に立ち会って来ますですよ。。。

レジス・カンポ オペラ「西埠頭」ハイライト



まあ、こんな感じで、、、
我が家はおかげさまで今年も充実した日々でした。
来年も健康に気をつけながら精進致します。。。。

お世話になったみなさま、ありがとうございました!!!
どうぞ良いお年をお迎え下さいね!!

2014年12月6日土曜日

アムステルダムに行って来ました



れじとん(旦那)のヴァイオリン協奏曲が久々に演奏される、というので、2人でオランダはアムステルダムまで一泊旅行に行って来ました。

アムステルダムは私達にとってものすごく思い出深い街なのですよ。というのも、、

今は遡ること18年前。

私は2年間のパリ留学を終えて一旦日本に戻り、東京芸大に復学して単位取得にいそしむ日々を送り(笑)、、

れじとんはというと、パリ国立高等音楽院の作曲科を卒業したばかり。出版社でのバイトでかろうじて食いつなぐ貧乏青年(笑)。

こんな2人なのになぜか「遠距離婚約中」で(笑)、私は夏休みを利用してパリまで婚約者に会いに行った、と。

ちょうどその夏、オランダはアムステルダムで毎年開催される「ガウデアムス国際音楽週間」という現代音楽祭での作曲コンクールの本選にれじとんのパリ音の卒業作品が選ばれた、つうんで、2人でアムステルダムに10日間程滞在したわけです。

婚約者との甘〜い旅行、な〜んて予想してたら大間違いで(笑)、毎日毎日世界中からやって来た作曲家達とホテルで熱く議論したり、セミナーに参加したり、リハーサルを見学したり、、、英語もフランス語もろくにしゃべれなかった私は、ついて行くだけでも必死!楽しかったけど、めっちゃ疲れる日々でした(笑)。

作曲コンクールの本選は「演奏会形式の審査」になっていて、演奏会の指揮を担当するのは、並行して開催されている「指揮マスタークラス」の受講生達。この時初めて私は、指揮マスタークラスの講師として招かれていたハンガリー人作曲家&指揮者、Peter Eotvös(ペーター・エトヴェシュ)さんにお会いしたのでした。。

本選に残っている作曲家達、さすがに世界中から選ばれただけあってツワモノ揃い。
中でも1人「絶対に俺が優勝だぜ!」的自信満々オーラを出しまくりなオランダ人作曲家がいて(笑)、みんなで「きっとアイツが優勝するんだぜ」って言ってたんですよ。。

で、いざフタを開けてみたら、、、

なんとっ!

れじとんが優勝!!(笑)

このコンクールでの優勝と、この2ヶ月後に「アンリ・デュティユー国際作曲コンクール」にも優勝したことが、れじとんの作曲家としての正式なキャリアのスタートとなったようなものですね。

まあそんなことで、、、
アムステルダムには思い出がいっぱいあるわけです、はい(笑)。

ガウデアムス国際作曲コンクールの優勝者には賞与として新作が委嘱され、その作品が次年度の音楽祭でオランダを代表する現代音楽アンサンブルNieuw Ensembleによって初演されるわけです。
で、れじとんがこの時作曲したのが、今回同じNieuw Ensembleによって17年ぶりに再演された「ヴァイオリン協奏曲」だった、と。

「やあ!久しぶりだねえ!またこの作品を演奏できて嬉しいよ〜!」
って、アンサンブルの人達もれじとんに次々声をかけて懐かしがってました(笑)。



それにしても、、

18年前の初訪問以来、オランダには何度も何度も来てますけど、、

オランダ人って、なんでこんなにフレンドリーで柔軟性抜群なんやろう??
って、毎回感心しちゃいます。
地理的理由で国民全体がトリリンガル(オランダ語、英語、ドイツ語)ってのも影響してるのかもしれないけど、価値観の許容範囲が広いというか、視野が広いというか、、。

れじとんの作品が演奏されたのは、いわゆる典型的な現代音楽のコンサート。
聴きに来るのはマニアックな若い常連のお客ばかりか、と思いきや、、、
客席には70代以上のおじいちゃんおばあちゃんがいっぱいいて、みんな好奇心満々な目をキラキラ輝かせながら聴いてるんですよ!

演奏会の最後を飾った作品が、クラシックとジャズを両方勉強した作曲家によるアンプギターソロとアンサンブルのためのファンキーな音楽(笑)で、なかなか楽しかったのです。
そしたら、終演後おじいちゃんおばあちゃん達が「ブラヴォー!」と叫びながら次々と立ち上がり、スタンディング・オヴェーションの嵐が巻き起こった!!

いくつになっても新しいものに積極的に触れ、それを楽しむ事が出来る柔軟な感性といい、、、

特定の美学にこだわらず自由でバラエティに富んだプログラムを組める芸術監督といい、、、

技術の高さもさることながら、人間味溢れる演奏を披露してくれたNieuw Ensembleの皆さんといい、、、

色んな意味でこの国の教育と文化的な懐の深さを目の当たりにした演奏会でした。




素晴らしい演奏会に立ち会えただけでも申し分ないオランダ滞在、だったのですが、、、

今回私がネットで検索して直感的に選んだホテルが、これまた大当たり!!!(笑)

仕事柄色んなホテルを利用する私ですが、プライヴェートで滞在するなら、やっぱりオーナーの人となりがにじみ出るようなプチホテルが好みですね。

今回のホテル、1つ1つデザインが全く違う9室の部屋からなる「普通のおうち」風ホテルで、センス抜群!

内装も丁寧に考え抜かれているし、家具類はおそらくオーナー自身が足しげく蚤の市に通って探して来て自分で修繕したであろう骨董品。





部屋に付いてる冷蔵庫の中には「ウエルカムドリンクです。どうぞ好きなだけお召し上がり下さい。」と、シャンペンやビール、ソフトドリンクにおつまみの数々が!



朝食はたったの5ユーロ。食材は全部健康に良いもの&フェアトレード商品ばかりで、サロンでは24時間いつでもホットドリンク無料飲み放題。
写真に写ってるスナックコーナーに置いてある飲み物とスナック類は、24時間セルフサービス。安くってしかも支払いは自己申請。

DVDコーナーもあって、好きな映画を部屋で見られるし、、

オーナーもスタッフもみんな気さくで優しい!

しかもっ!

こんな素晴らしいサーヴィスの割に、料金がリーズナブル!!!!(笑)

「また絶対ここに泊まります!」と、オーナーのベリーさんに固く約束しちゃいました!


あと、我々がアムステルダムに来たら絶対に欠かせないイベントが

パンケーキを食べること!(笑)




ちょっと見た目が「チヂミ」に似てますが(笑)、味はヨーロピア〜ン!! 美味っ!!


それに今回は、シーフード専門店にも行きました。

新鮮な魚介類を生や、丸焼きや、フライや、寿司や(笑)、いろんな形で食べられるお店。

私は牡蠣の食べ比べプレートを注文したのですが、、、



1種類だけずば抜けて美味しい牡蠣があったので、思わずレストランのオーナーに質問!

アホーヤ「このTsarskayaっていう牡蠣、めっちゃ美味しいんですけど、産地はどこ?」

オーナー「おお!あなた、わかってくれて嬉しいねえ!その牡蠣は、ブルターニュ地方はカンカルの、ごく限られた区域でしか生産してない牡蠣でね、、、昔ロシアの皇帝が気に入って買い占めてたから、そんなロシアンな名前が付いたらしいよ。すごく肉の旨味があるよね。」

アホーヤ「オーナーはこの店で扱ってる魚介類、全部自分で味わって選ぶんですか?」

オーナー「そりゃそうだよ。それが専門だからねえ。大変といえば大変だけど、時々嬉しい驚きがあったりして、なかなか面白い仕事ですよ。」

なんか、すげーマニアックなシーフード専門店だったようで、ツボでした(笑)。


帰りの新幹線の中。

駅の売店で買ったサンドイッチをむしゃむしゃ食べてたら、、、

車掌が食事を運んで来た!(笑)




18年前の「超絶ド貧乏初アムステルダム旅行」を2人でしみじみ思い出しながら、車中ですっかり飲んだくれましたとさ(笑)。


さあ!これで楽しい思い出がまた1つ増えました!


そして、、、、

来週はドイツ滞在だあっ!!



2014年11月22日土曜日

旦那の受賞、新アンサンブル創設、などなど。。。



先日、れじとん(旦那)がフランス学士院から「デル・ルカ財団賞」という大きな賞を頂きました。

れじとんがフランス学士院から表彰されるのはこれが3度目。
最初の賞は16年程前だったかな、、、「ピエール・カルダン賞」という、若手芸術家を奨励するための賞でした。その表彰式典出席のため、生まれて初めてフランス学士院に足を踏み入れた、当時まだ若くてフニャフニャだったれじとん&私(笑)。オリーブの刺繍に彩られた礼服に身を包む蒼々たるアカデミシャン(芸術アカデミー会員)達や、フランスの文化の中枢ともいえる学士院の荘厳たる雰囲気に只々ビビりまくりだったような記憶が(笑)。。。

で、今回頂いた賞ですが、、、

元々科学部門と美術部門のための賞だったのが、今年から音楽創作部門も新しく加わり、表彰セレモニーで受賞作曲家の新曲初演を行う、といったものでした。



上の写真、、、左側がアカデミシャン達の席なのですが、一番左端にピエール・カルダン氏が座ってらっしゃいますね(笑)。

式典後、友人でフランス史上初の女性作曲家アカデミシャンでもあるエディット・カナ・ド・シズィー女史、れじとんの作品を出版しているルモワンヌ社の社長、ピエール・ルモワンヌ氏と記念撮影!



アカデミシャンは、絵画部門、彫刻部門、建築部門、文学部門、映像部門、作曲部門、などからそれぞれ数名ずつ選出されます。終身会員制なので、会員が亡くなると新しい会員を選出するわけですね。でもって、選出されると、それぞれのアカデミシャンが好きなデザインのオリーブ刺繍の礼服と剣をオーダーし、公式な式典には必ずそれらを身につけます。
エディットいわく「私は女性だから「剣」を持つのもどうかな、と思って、ブローチにしてもらったのよ。」
この写真ではわかりにくいですが、彼女の左胸にはヴァイオリン模様の入った(彼女はヴァイオリン奏者なので)見事な宝石のブローチが輝いているのですよ!

日本人の私がこんなフランス文化の歴史の真髄を間近に垣間みせてもらうなんて、ありがたいことですよね!フランスにしても日本にしても、世紀から世紀へ、世代から世代へ脈々と受け継がれて来た文化の伝統の重みは大切に受け止めたいものです。

それにしても、れじとん!よかったねぇ!! おめでと〜う!!!!!!!!







れじとんが、新作オペラやら、上の式典のための新作の作曲やらでバタバタとしてる間、私は私で、新しく創設するアンサンブルの立ち上げ準備を着々と進めておりました。

で、、、

先日そのアンサンブルの第一回演奏会が開催されました!



アンサンブルの名前は「Musica Universalis」。

なぜこの世に音楽が存在するのか?
なぜ人は音楽を必要としているのか?

「音楽が人類にもたらすもの、そして音楽の内包するこの宇宙にとっての根源的なものは何なのかを見つめ続けてゆこう」という願いを込めて、ギリシャの数学者&哲学者ピタゴラスが提唱した、宇宙の調和についての考察「天球の音楽」のラテン語訳から取りました。



「若い世代、特に子供達にもっとクラシック音楽や現代音楽を気軽に楽しんでもらう機会を設けよう!」というコンセプトのもと、優れた演奏者であり、同時に経験豊かな指導者でもある音楽仲間達に声をかけて結成したこのアンサンブル。

第一回目のコンサートのテーマは「ユーモア」。

いや別に、、受け狙いの作品ばかりを並べたわけじゃなかったんスよ(汗)。。
でも、ゲネプロの見学に来た小学校低学年の子供達140人が、スロヴェニア人現代作曲家の実験的作品《Voix instrumentalisée (器楽化された声)》の演奏中に腹抱えて笑い出し、場内大爆笑の渦になっちゃった時にはどないしよか、と思いました(笑)。。。

でも、ただ笑ってるだけではなくて、、、突然演奏が止むとみんなハッと息を呑むし、、リズミカルな曲の時にはみんな頭をブンブン振りながら拍子を取ってるし、、、。

スペインの古い歌「ラ・フォリア」を現代風に変奏した作品を聴いた後には、みんな積極的に手を挙げて演奏者のチェリストに質問の嵐!

「なんかね、聴きながらね、楽しいとか悲しいとか、色んな違う感情が浮かんで来たの」

なんて、そこらの批評家顔負けの感想を言う子もいたりして。。。



とにかく6、7歳の子供達が心から現代音楽の演奏会を楽しんでいるのが伝わって来て、演奏している我々にとってもこの上ない幸せなひとときとなりました。

「ブラヴォー!」と演奏者達に叫びながら、ニコニコと会場を去って行った子供達。
色んなものを沢山見て触れて、是非感性豊かで視野の広い人間に育って行ってくれれば、と願います。

まあ、そんなこんなで、今後Musica Universalisの活動も私のライフワークの1つとして続けてゆくつもりです。みなさま、どうぞよろしくお見守り下さいませ!

しかし、、、

新しい事を始めるって、結構エネルギー要りますね(笑)。

師匠のルイージさんが
「キミにはエネルギーが有り余ってるから大丈夫だよ!」
って言うから、まあきっとそうなんやろう、、つうことで頑張ろうっと!(笑)

大体師匠には初めて会ったときから良くも悪くも色々と見抜かれてるような気がします。
先日「私の性格に合ったフランスの作曲家は?」とメールしたら、ものの2分程で返事が来て、その内容があまりにも的を得ていたので思わず絶句してしまいましたもん(滝汗)。

私自身「人間観察」が大好きなのですが、、きっと師匠の「観察度」はその20倍位濃ゆ〜いのではないかと(笑)。。

ま、いいや。師匠のコトを話しだすと長くなるので、今日はこの辺でおしまい!(笑)





2014年11月9日日曜日

コンクールを受けてました




この3週間程、実は年甲斐も無く(笑)受験生生活を送っておりました。というのは、、、

9月いっぱい、れじとん(旦那)の新作オペラ初演のためストラスブール国立歌劇場にずーっといたのですが、その時に「こんな公募があるよ!」とスタッフの人に見せられたのが
「マルセイユ市立歌劇場副指揮者兼ピアニスト募集」の公示。
「今更副指揮者なんて。。しかもピアニスト兼、やないの。。。」
と、最初は全然乗り気じゃなかったのですよ。でも、れじとんが
「マルセイユ!ボクの故郷!一緒にマルセイユで過ごせる時間が増えるし、受けてよ!」
って言うし、、まあ受験準備の時間はあるし、、収入の足しにはなるし、、、。
でもやっぱりやる気になれない(苦笑)。。。
で、試しに(ファビオ)ルイージさんに相談してみました。
そしたら
「そりゃあ、是非受けてみなさい!ボクが準備を手伝うからチューリッヒにおいで!」
って言うやないですか(笑)
そーゆーことなら、つうわけで、、、
3週間みっちり勉強しましたですよ。

今回の公募、副指揮者兼ピアニストということで、試験の内容がちょっと変わっていました。
一次試験はピアノの実技。しかも課題が

オペラ
ワーグナー トリスタンとイゾルテより、2幕の愛のデュエット全部(少なくとも30分以上はする)
シュトラウス エレクトラより第一場
ヴェルディ ファルスタッフより、フィナーレのフーガ
ビゼー カルメンより ミカエラのアリア(その場で歌手を伴奏する)

オーケストラスタディ
ショスタコーヴィッチ 交響曲第一番のピアノパート全部
ストラヴィンスキー ペトリューシュカのピアノパート全部

全部弾くと1時間半位もかかるプログラムなんですよ!マジかよ!!!!(笑)

で、一次試験通過者のみ受けられるファイナルが

ワーグナー トリスタンとイゾルテより「イゾルテの死」(オケ版)
メンデルスゾーン 真夏の夜の夢 序曲
チャイコフスキー 交響曲第四番1楽章
ヴェルディ 運命の力 序曲
ビゼー カルメンよりミカエラのアリア(伴奏指揮)

以上の5曲をマルセイユ交響楽団を実際に指揮する、というもの。

私はここ最近ろくにピアノを練習していなかったので、まずは指のリハビリからのスタート。最初の2週間は毎日ひたすら音階のエクササイズを3時間+読譜を2時間!(泣)
でも、なかなか弾けない部分があったりするので、友人のドイツ在住ピアニスト濱倫子さんにスカイプでレッスンしてもらったりもして(笑)、そりゃもうエラい騒ぎでした。。
受験を決めた当時、まだストラスブールにいたので、ストラスブール国立歌劇場に頼んで練習室を使わせてもらい、とにかく空き時間を見つけては、さらいました。。。

泣きそうになりながらも、ルイージさんがチューリッヒで待ってる事を思うと諦めるわけにもゆかず。。。
とにかく形にだけは仕上げて、チューリッヒへと向かいました。


チューリッヒ滞在中ルイージさんが気を利かせて、質の良いスタインウェイピアノが置いてあるチューリッヒ歌劇場の合唱リハーサル室で私が自由にピアノがさらえるように取りはからっておいて下さいました。ありがたや!
なもんで、ルイージさんがいない間、私はひたすらピアノを練習してたわけです。そしたら、色んな人が取っ替え引っ替え部屋に入って来るんです。
「ねえねえ、なんでキミ、ファルスタッフさらってるの?」って訊いて来る合唱指揮者。
「ペトリューシュカ!いやぁ〜、ボクも今それさらってるんだよ〜。キミ、上手だねぇ。素晴らしいよ!」って何故か褒めに来たコレペティのお兄さん(笑)。
チューリッヒ歌劇場のスタッフさん達、なかなか気さくですねぇ(笑)。

そんなこんなで、取り憑かれた様に練習してヘトヘトになった頃、ルイージさんがニコニコと現れて
「さあ!レッスンしよう!」、となるわけです(笑)。

ルイージ「で、何を準備しないといけないの?」
私「とりあえずはピアノの試験をパスしないといけないんですよ。今まで副指揮者の選抜試験でピアノの実技があったことなかったし、最近ろくにピアノをさらってないのでどうなることやら。。」
ル「じゃ、とりあえずピアノから見ようか。はい、ボクが横で指揮するからペトリューシュカ弾いてみて!」
スコアを見ながら指揮を始めるルイージさんに合わせて弾いてたら、途中でよくわからなくなった。。
私「すいません。よくわからなくなりました。。」
ル「だって今、ボクが振り間違えたんだもん。ごめんごめん。。」
ま、こんな感じで楽しく色んな曲を見ているうちに、ルイージさんも乗って来て
ル「ねぇ、ちょっとボクにも弾かせて!」
って、自分でもピアノを弾き始め、、、(笑)
ル「このパッセージはさぁ、運指が良くないから弾きにくいんだよ。」
と言いながら、弾きやすい運指まで書き込んで下さり(恐縮)、、
別の日には、自分が指揮する本番の20分前、「マエストロ、そろそろスタンバイして下さい!」というアナウンスが流れるまで、音楽監督室で指揮の仕方についてあーだこーだアドヴァイスを下さいました。同じ部屋の中にルイージさんの奥さんと一番下の息子さんもいて(笑)、私は邪魔してるようで早く終えないと!と焦ってたら
「ピアノピアーノ!!(落ち着いて!ゆっくり!)」
と、ルイージさんに諭されたし(笑)。

こんな感じでさんざんルイージさんにお世話になり、また勇気付けて頂きながら、いざ!試験に臨んだわけです。

受験者は総勢34人。

審査員は2人、いや、実質上は1人。
マルセイユ市立歌劇場の音楽監督、ローレンス・フォスターさんと、彼に付き添う歌劇場支配人。
ようするに、、フォスターさんの独断ぢゃないか!!(笑)

私は以前フォスターさんのアシスタントを務めたことがあり、その後受けた正式採用コンクールでフォスターさんは私を2番手にし、アメリカ人の男の子を1番手として採用した、という前科があるのですよ。。。

また同じ事が起こるような気がしなくもない、、と、思いながらも、まずは一次試験に挑戦。

私の顔を見るなり「お〜、知ってる顔だねぇ〜。」というローリー(フォスター)さん。

ローリー「キミ、どうしてボクがペトリューシュカを試験の課題に入れたかわかるかい?ボクは復讐したかったのさ。若い頃クリーヴランド響の副指揮者兼ピアニストの選抜試験を受けたんだけど、その時の課題がペトリューシュカだったのよ。審査員はジョージ・セル。で、ボクはその試験に落ちた。その時に採用されたのが誰だかわかるかい?ジェームス・レヴァインだよ。」

話しだすと止まらないローリーさん(笑)。

で、まあ、色々と弾かされたわけです。

試験を終えて会場を後にして1時間後くらいに、マルセイユ歌劇場から連絡。
「あなたは一次試験に合格しました。ファイナルに出場して下さい。」
えええええっ!!!私の受験番号は2番だったから、まだ全員受け終わってないはずなのに、もう「合格」ってか??!!(笑)

とりあえずルイージさんに「一次受かった」とメールを書くとすぐに返事が。

ルイージ「おめでとう!!ファイナルで指揮するときは、××と○○と△△に気をつけなさい。自信持って!」

でもって、2日後にファイナルの試験がありました。ファイナリストはフランス人2人、イタリア人2人、私(日本人)の計5人。

私がトップバッターで、朝の9時半の寝ぼけたオーケストラを45分間指揮しました。

審査員は、、、ローリーさん(笑)。

指揮し終わって、昼ご飯食べて、多少ビールまで飲んでたら、マルセイユ歌劇場から連絡。
「もう一回戻って来てチャイコフスキーを指揮して下さい。」
しょうがないから、あわててスーツに着替え直して歌劇場へ。
最後の受験者が終わった後に、何故か私がもう一回登場して10分間チャイコフスキーを指揮。
その後結果発表がありました。

案の定私は2番手で、フランス人の若い男の子が採用されました。

デジャヴ、ぢゃないか!!!(笑)

とりあえずルイージさんにメールで「すいませ〜ん。ダメでした〜。」とメールしたら、2分で返事が。
ルイージ「えええっ!ものすごく残念!!!!でもキミの資質はボク、よくわかってるからこのまま良い仕事して結果を出し続けてゆきなさいね。」

と、いうことで、、、マルセイユ歌劇場就職はなりませんでしたが、、、

冷静に考えると、

マルセイユの小さな市立歌劇場のポストの準備のために、ストラスブール国立歌劇場やらチューリッヒ歌劇場やらに大変お世話になり、濱倫子さんの貴重なアドヴァイスをもらい、挙げ句の果てにルイージさんにコーチしてもらった、という、、、

なんとも「シュール」な経験でした(笑)。

お世話になった方々、本当にありがとうございました。
続けて精進致します!!!






2014年10月13日月曜日

秋の夜長に独りごち



秋の夜。

寝る前にこんな曲を聴いています。



プーランク2台ピアノの為の協奏曲。この曲の事、かつてジェラール・グリゼイ先生がパリ音楽院の作曲のクラスで話してましたっけ。曲中に私の第三の故郷(笑)インドネシアはジャワのスレンドロ音階が使われているんですよね。で、久々に聴きたくなった、と(笑)。

プーランクって実は好きな作曲家。全く個性は違う筈なのに何となくプロコフィエフと共通するものを感じる時があります。どこが、なのかな? ピアニスト作曲家ならではの「和声的発想と旋律的発想のフュージョン度合い」なのか、、フレーズの短さ、なのか、、、??

そういえばフィリップ•アントルモンさんが、若い頃プーランクに会った時の話もしてくださったなぁ。
アントルモンさんの家には、親しくしていたバーンスタインさんがアントルモンさんの為に書いてくれた交響曲2番「不安の時代」のカデンツ部分の自筆譜はもちろんのこと、何故かドビュッシー自身による書き込みが入ったオペラ「ペレアスとメリザンド」の初版ピアノリダクションスコアまであるのですよね〜。「どうしてウチにこれがあるのかわからない」そうですが。
それにしても、、ドビュッシーの筆跡は何となくブーレーズのそれに似てるよなあ、と思うのは私だけかしら? 

今年80歳になられたアントルモンさん、他にもオーマンディやバーンスタインとの色んな思い出話をして下さいましたけど、、、生前れじとんがお世話になっていたアンリ•デュティユーさんに至っては、「ごくごく若い頃ストラヴィンスキーの「詩編交響曲」のフランス初演演奏会を聴きに行って終演後に楽屋を訪ねたら、そこでストラヴィンスキーとラヴェルが談笑してたんだよ。で、ラヴェルがそのときに詩編交響曲の感想をひと言も言わなかった事をストラヴィンスキーはいつまでも根に持ってたんだよ」、とかいう話をしてらしたっけ(ホンマかいな?)。。

亡くなる直前(102歳位だったか?!)のダリウス・ミヨー夫人のお宅にお伺いしたときは、ピカソやコクトーとの交流を昨日の事の様に話してらっしゃいましたねぇ。というか、「コクトーが描いてくれたのよ」とかいうデッサンやなんかが、その辺に無造作に置いてありましたし(笑)。

昔パリ管合唱団の稽古ピアニストをしていた時にお世話になったイギリス人合唱指揮者のアーサー・オールドハムさんは、ベンジャミン・ブリテンの直弟子。ブリテンの思い出話も彼から色々と伺いました。

そのブリテンが、ロストロポーヴィッチさんの仲介でショスタコーヴィッチと親交を深め、後にロストロポーヴィッチ夫人のガリーナ•ヴィシネフスカヤさんに献呈した「戦争レクイエム」。この作品をロストロポーヴィッチ夫妻のパリ宅での夫人による声楽レッスンで伴奏した、というのもよく考えたら凄い貴重な経験でした。。。

ちなみにその時、日本びいきのロストロポーヴィッチさんに「本人からプレゼントしてもらったんだよ。この違いがわかるかい?」「千代の富士」と「九重部屋」とネーム柄の入った浴衣コレクションを得意気に見せて頂きましたし(汗)。。

考えてみれば、偉大な方々とお会いする機会を沢山頂いている私は幸せ者ですね。この幸運に改めて感謝せずにはいられません。

何だか色々と思い出話書いてるうちに眠くなってきた。。。

ではでは、今日の戯れ言はこの辺にて。

おやすみなさい。





2014年10月6日月曜日

新しきものは。。。





れじとんの新作オペラ「Quai Ouest (西埠頭)」の初演、ストラスブールでの全公演は終了し、あとは隣町のミュルーズで1公演、来年1月から始まるドイツのニュルンベルグ歌劇場でのドイツ語版公演を待つばかりとなりました。

リハーサルの期間中、経過やエピソードなどをブログで報告しよう、と思っていたのですが、毎日へとへとに疲れてそんな事は到底無理でした(笑)。
自分の演奏会よりも、心配したり演出家と喧嘩したり神経質になってるれじとんにずっと付き添ってる方がよっぽど疲れるぢゃあないか!(笑)

脚本の原作者は、現代を代表する戯曲家ベルナール=マリー・コルテス。エイズのため40歳の若さで亡くなったこの天才戯曲家の、放送禁止用語だらけのダークな作品をどうやってオペラ化するのか?

コルテス作品の初オペラ化、しかも作曲はれじとん、ということで、、、
ここしばらく連日テレビやラジオ出演が続き、初日公演には欧米各国(日本人もいました、そういえば!)から55人もジャーナリストがやって来て、ストラスブール歌劇場の支配人が大慌てで対応していましたよ。。。

初日公演の数日前だったかに、フランスの大手新聞「リベラシオン」紙のまるまる1ページにでかでかとれじとんの記事が掲載されました。

挑発的な写真に「現代音楽界のバッドボーイ」という見出し。

れじとん本人はめっちゃ喜んでますけど、、これ見てカチン!と来てれじとんを叩くジャーナリスト、絶対いるやろなぁ〜、と、私は内心ドキドキしてましたですよ(苦笑)。

素晴らしい歌手や役者のみなさん、経験豊かで有能な指揮者さん、エネルギッシュな演出家さん、アイディア豊かな舞台装置&照明、、、色んな人の才能が結集して、公演は連日現代オペラの初演とは思えない程満員のお客さんに、大きな拍手を持って迎えられました!!
出演する歌手の皆さんそれぞれに特徴的な独唱の部分があって、各々の美声をたっぷり堪能できました。あと、レチタティーヴォ風に歌うテノールの若者に時々エレキギターが「合いの手」を入れるのが何とも笑えました(笑)。心奪われる場面は沢山ありましたが、特にオペラの終盤近くで歌われる女性3人によるトリオ歌唱が、ゾッとするほど美しかった!この場面から会場の空気がガラッと変わるんですよ。。。
その後、舞台上で本物の機関銃がバババ!とぶっ放され、観客は呆然。
火薬の匂い漂う中、「In God we trust, do we ?」という、コルテスが亡くなる直前にお兄さんに書いた手紙の最後の一文(1ドル札に書いてある言葉でもあります)を歌詞として舞台裏で歌われる無伴奏合唱でオペラは終幕。






ジャーナリスト達の批評は、というと、、、、

ものすごく両極端に分かれました!!!

「いまどき旋律のあるオペラだなんて、ダルムシュタット派が動揺するに違いない」
「いまどき旋律のあるオペラを書く事こそ斬新である」
「伝統的なオペラの形式に沿って書かれたもので、現代オペラらしくない」
「伝統的なオペラの形式に沿いながらも新しい視点で書かれたオペラである」
「コルテスのダークで絶望感溢れる世界と音楽が一致しない」
「コルテスの世界に音楽で対応するには、これが最もベストな作曲方法である」
「オペラの冒頭がジョン・アダムスにそっくりである」
「オペラの冒頭がヴェルディの「オテロ」にそっくりである」
「オペラの冒頭がワーグナーの「ラインの黄金」を彷彿とさせる」

よくもまあ、こんなに色んな意見が出て来るもんや!と感心しちゃいましたよ(笑)。

反対の事言っているジャーナリスト同士が、お互いにけなし合ってたりもして(苦笑)、、、れじとん本人とは関係のない所で、結構話題の種を提供してるようですね(笑)。

当のれじとんは、というと、、、

公演を何度か観て聴いて色々思う所あったらしく、最終公演が終わってないにもかかわらず、すでに「改訂版」を作曲中(笑)。






私の率直な意見を言わせてもらうと、、、

「オペラ」というのは、作曲家なら誰でも書けるとは思いません。優れた器楽曲や電子音楽作品を作る作曲家が優れたオペラを書けるか、というと、そういう訳でもない。
例えば、、モーツァルト。彼は典型的な「オペラ作家」だと私は認識しています。
ところが、ベートーヴェンやハイドンは私にとっては「オペラ作家」ではない。

これはもう、能力とか才能以前に「適性」の問題だと思うのですが。。。

れじとんは、はっきり言って「オペラ作家」だと思います。今回それを確信しました!

初めて書いた「グランドオペラ」。色々と不完全な部分はあったにせよ、これだけ「オペラ作家」としての資質を備えた作曲家には、今後もどんどん作品発表の機会を与えるべきでしょう。 自分の旦那だから、という以前に、歌劇場で仕事する事の多いオペラ好きの1人として素直にそう感じた次第です。

それにしても、今回のれじとんのオペラの中には、映画制作の技術が沢山応用されていたように見受けられました。れじとんは自他ともに認める大映画オタクですから(笑)、例えばイギリス人映画監督のピーター・グリーナウェイ氏のように、映画監督&メディアアーティストの視点からオペラの演出を手がけるような人と組んで作品を作れば、何か突拍子も無いアイディアが生まれだすのではないか、と、ふと思いました。

あ、そうそう、、、
れじとんの公演を観に&れじとんに会いに、わざわざアムステルダムから泊まりがけで来て下さったチェリスト氏と、終演後ビールを飲みながら楽しく語らいました。
れじとんは、彼の為に協奏曲を書く事にどうやらなりそうです。
素敵な出会いに感謝!

彼は来年横浜でも演奏会をされるそうですよ。ご興味のある方は是非!
YouTube映像を貼付けておきますね。






2014年9月7日日曜日

17年。。。




パリの西に位置する広大なブーローニュの森。その一角にある植物園内のホールで毎年開催されている音楽祭にてれじとんの新曲が初演される、ということで、2人で行って来ました。

リヨン出身のイケメンピアニスト(笑)ウィレム•ラチュミアさんと、パリ国立高等音楽院在学中の若手女性ヴァイオリニストによるデュオの演奏会。

緑に囲まれたガラス張りのホールで聴く演奏会は、気持ちがいいですねぇ!
2人とも、なかなかの熱演でしたよ!!!

会場で久々にクリスティーヌ•ジョリヴェ女史(アンドレ•ジョリヴェさんの娘さん)や、素晴らしいピアニストでこの音楽祭を夫婦で主催されているフランソワ=フレデリック•ギーさんにもお会いし、、、

終演後のカクテルパーティーでは、日本語ペラペラのおじさんと友達になって大盛り上がり(笑)。

植物園に咲き乱れる薔薇の香りに包まれながらの楽しいひとときでした。




れじとんとは出会って19年程、ふと気づけば今年で結婚17年目になります。

結婚当初はそれこそ彼の作品初演の場には全て立ち会って、時にはパート譜書きの手伝いまで(笑)やってましたけど、最近は自分の事で色々と忙しくてなかなか初演を一緒に聴いてあげられてなかったよなぁ、と、デュオの調べを聴きながらちょっと反省したのでした。。。

そのれじとんですが、この度フランス学士院から賞をもらうことになりました!
11月の授賞式の場で初演されるオーケストラ作品を早く作らなきゃいけないんやけど、今月末の新作オペラの事で頭がいっぱいでそれどころではないらしい。。。

大丈夫やろかね??(汗)

れじとんのフランス学士院からの受賞は、今回で3度目、でしょうかね?
一番最初の賞はたしか「ピエール•カルダン賞」という名前で、実際授賞式にカルダンさんがいらっしゃってたのを覚えています。

パリ国立高等音楽院で知り合って結婚した時れじとんは28歳、私は23歳。
新婚生活を始めたものの、「こんなにお金ないのに、どないして暮らしてゆくねんな?」という状況やったもんなぁ〜(笑)。。。
れじとんは週5日出版社でライブラリアンとして働き、帰宅後すぐに机に向かって作曲、という日々。私はというと、学生を続けながら子供達にピアノを教えたりあちこちで伴奏の仕事を引き受けたり、という感じでした。

その後れじとんがローマ大賞奨学生に選ばれ、ローマのメディチ荘に1年半滞在。
この時、奨学生申請のための推薦状を書いて下さったのがアンリ•デュティユーさん。デュティユーさんには生前本当に色々とお世話になりました。。。

色んな国や街での初演にも立ち会いましたけど、、、
9月になると思い出すのが、2001年9月中旬にカリフォルニアで開催されたバークレー交響楽団の演奏会。

初めてのアメリカでの演奏会に向けてワクワクしながら2人で旅行の準備をしていたら、、、

突然9•11事件が勃発!

アメリカ中の空港が閉鎖し、現地入りが出来なくなってしまったのです!

結局空港が再稼働するまで1週間待っての出発となりましたが、新作を依頼して下さったこの演奏会の指揮者でバークレー交響楽団の音楽監督(当時)ケント•ナガノさんは事件当時ドイツにおり、リハーサルに間に合うためドイツから急遽メキシコまで飛んで、マネージャーにアメリカとの国境まで車で迎えに来てもらい、陸路でカリフォルニアまでたどり着いたのだとか。

結局演奏会は予定通り行われたのですが、ニューヨークとは反対側の西海岸とはいえ、殺伐とした雰囲気漂う中で聴く初演は、忘れ難い経験となりました。

ケント•ナガノさんとは其れ以来交流が続いており、目下モントリオール響との初演の企画が進行中のようですよ〜。これもまた楽しみですね!!


しかし、、、

17年も「作曲家の妻」をやってると、結構色々あったんやねぇ〜、と今頃気づいた(笑)。

れじとんの頑張りには私など足下も及びませんが、これからも人として、音楽家として共に向上してゆければ、と願う今日この頃!でございます(笑)


17年前




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